第一線で活躍中のプロが、素顔であなたに語りかける
森光子さん、黒柳徹子さん、小堺一機さんが何故パフォーミング・アート・センターのゲスト講師なのか?
森さんも、黒柳さんも、まだ声優という言葉のない時代から、声優界の大スターだったのです。森さん出演のラジオ・ドラマ、黒柳さん出演のコントを聴いて育った声優達がどれほど沢山いることか。
その上、森さんは本来歌手であり、ミュージカルの女優さんでもあります。黒柳さんはTVのインタビュアーである前に、日本を代表する舞台女優さんであり、演出家でもあるのです。
小堺一機さんの舞台を一度でも観れば、小堺さんがただのテレビ司会者でないことは一瞬にして判る筈です。
どうか先輩達から深く学んで下さい。積極的に学んで下さい。積極的に伝統から学び、そして、伝統を追い越して行って下さい。新人には先輩を追い越す義務があります。しかし、先輩達が通った道を飛び越えて進むことは決して出来ません。
先輩達は、心を開いて皆さんを応援します。

森光子さん

もう一つの“顔”を見せてくれた小堺 一機さん

左から福田信昭さん、堀内賢雄さん、たてかべ和也さん、山寺宏一さん
ゲスト講師からのメッセージ

山寺宏一
「アニメ」「洋画」「ナレーション」「ラジオ」以上が現在の私の仕事の四本柱である。これらをバランスよく続けていきたいと思う。そしてどうせやるなら、それぞれにおいてトップを目指す!そう思っている。とても難しいことだ。 しかし、それをとっくにやっちゃっている人がいる。野沢那智さんだ。しかも舞台の演出家としての実績もスゴイ!とんでもない人だ。 その野沢さんがスクールを開く?まずい!私の夢が、そのスクールの卒業生によって、ますます遠のいてしまうではないか?まだ見ぬ ライバルの出現に、今から不安におののく日々だ。

中尾隆聖
テキスト3聖私が今も声優としてやっていられるのは、演技者つまり演者として、舞台の芝居作りを続けてきたからだと思います。その芝居作りの厳しさ、楽しさを教えてくれたのが野沢那智さんです。野沢さんのお芝居に参加させて頂いたおかげで今でも芝居作りを続けていられるのです。

田中真弓
声優学校が乱立し、口パクにあわせること、パターンのしゃべりと、ごあいさつを覚えて、どんどんでてくるわかい人達が増えている中、アニメや洋画の声の仕事とは、俳優がたまたま声だけ露出させている仕事なのだと言うことを、先ず、教えていくことが一番大切だと思います。そんな今、ずっと演劇界、ミュージカル界をリードする一方、声優としても私たちのあこがれである野沢那智さんが後進の育成に乗り出してくださったという事は、私たちにとっても、とてもうれしいことです。
ゲスト講師紹介
| 森 光子 | 優希 比呂 | 千葉 繁 | 小原 乃梨子 | 山寺 宏一 | 井上 和彦 |
| 檜山 修之 | 越川 大介 | 堀内 賢雄 | 毒蝮 三太夫 | 小川 亜矢子 | 小堺 一機 |
| 山本 リンダ | 森山 周一郎 | 中尾 隆聖 | 笹沢 茶々丸 | 大塚 明夫 | 村松 康夫 |
| 難波 圭一 | 小宮 和枝 | 浅野 忠広 | 佐藤 卓矢 | 三石 琴乃 | 辻 親八 |
| 一城 みゆ希 | 黒沢 良 | 毬谷 友子 | 広井 王子 | 春風 ひとみ | 白石 冬美 |
| 近石 真介 | 酒屋 仁 | 高平 哲郎 | 市村 正親 | 野沢 雅子 | 前田 美波里 |
| 熊倉 一雄 | 増田 邦彦 | 黒柳 徹子 | 浦辺 日佐夫 | 名倉 加代子 | 肝付 兼太 |
| 田原 アルノ | 金巻 兼一 | 田中 真弓 | たてかべ 和也 |
第一級のプロから観たPACと野沢那智

タモリの『今夜は最高』『笑っていいとも』の企画・構成であまりにも有名な高平哲郎さん。雑誌『宝島』の編集でマスコミ界に天才として登場し、現在は舞台・ミュージカルの演出家として活躍。パフォーミング・アート・センターの相談役として、数々の助言を頂いています。
野沢那智は自分の学んできたことや、自分の大切な仲間たちが知っていること・体験したことを次の世代に継承しようと努力を始めた。
野沢那智というとアラン・ドロンや『ナポレオン・ソロ』のイリヤ・クリヤキンの声優のイメージが強かったが、二十年前に劇団薔薇座を結成したとき、やはり野沢さんは本当は舞台の役者をやりたかったんだと納得した。
ところが蓋を開けると、野沢那智は役者ではなくプロデュースと演出に回り、取り上げる演目は第二回公演で『セレブレイション』、続いて『アップル・トゥリー』『ストップ・ザ・ワールド』、さらに『ローマで起こった奇妙な出来事』『旅立て女たち』『BENT-ねじまげられて』『グリース』『キング・オブ・ハーツ』『ベイビー』『踊れ艦隊のレディたち』『ミスター・シンデレラ』『プロミセス・プロミセス』など大半がブロードウェイ・ミュージカルだった。
八十八年に第二十一回公演『スィート・チャリティ』で六十三年度の芸術祭賞を受賞したときは、野沢さんのイメージはすでに声優からミュージカル演出家に変わっていた。









